<院長・小口弘毅>

 終戦後間もない1951年、3人兄弟の長男として甲府に生まれ、地元の甲府一高を卒業、右も左も解らないまま北里大学医学部に入学、勉学と登山に6年を費やし、1975年に卒業。
 迷わず、小児科を選び、新生児医療を専攻し、北里大学病院新生児集中治療センター主任として長く診療、教育、研究に従事。
 2000年3月におぐち・こどもクリニックを開業、現在に至る。
専門:小児科学、新生児学

小口院長の自己紹介
 大学時代、白樺荘にて東北と九州出身の同級生4人と合宿生活に近い形で生活、大いに得るものあり。山登りに夢中となり、四季折々の山々に登り、大自然の素晴らしさに魅せられる。特に渓谷の遡行、そして冬山へとエスカレートし、遭難しかかったことあり。山歴として、今でも良くこそ登ったと思うのは、二人の仲間との人跡未踏に近い南アルプス赤石沢、黒部上の廊下の遡行、そして12月初旬の西穂高岳から槍ヶ岳までの単独縦走・・・・
 大学での勤務が長かったが、卒後3年目に大阪国立循環器病センター小児科で研修し、小児循環器の初歩を研修。卒後8年目にカリフォルニアのUCLA小児科にリサーチフェローとして二年間留学。幼い二人の男の子を連れて家族でシエラネバダ山脈へ行き、キャンプ生活を楽しみ、幾つかの高山の登頂を果たす(Mt Shasta 4200m,Mt Universityなど)。雄大かつ人気の少ない大自然には脱帽。3000mを越える高地に素晴らしく整備されたキャンプ場があり、その周辺には無数のクリスタルレイクがありました。マラソンにも目覚め、滞在中に10回以上のフルマラソンに参加、最高タイムは3時間5分。家族と一緒にあまり遊びすぎ、研究の方は・・・、しかし何とか研究論文をいくつか仕上げて帰国。帰国してからさらに一人付け加え、3人兄弟の私は、可愛く美しい女の子が欲しかったのに結局3人兄弟の父親。
 カリフォルニアでの楽しい遊・留学生活を終えて、大学に戻り、新生児センター主任として厳しい生活に直面。重症児を抱え、思うように成果が上がらず、自信喪失に陥り、不眠症にもなる。家族と良き同僚と看護師に励まされ、危機を乗り越え、新生児医療の厳しさも素晴らしさも学び、小児科医として成長することが出来た。多くの忘れ得ない子ども達と家族に出会い、小児医療とは、そしてその問題点を考えてきた。新生児の医療と学会での活動で、国内に多くの同士的な仲間を得ることが出来たのも財産となった。大学での生活は厳しいものがあったが、それでも良き仲間達と山登りをし、再度マラソンにも挑戦し、40歳を超えてからサロマ湖100kマラソンを完走(11時間8分)・・これは私特有のストレス解消法だったが、家族の協力で危機を乗り越えた。
 新生児医療を通じて考えてきたこと、そして大学では出来なかったことを、小児科を開業して、実践できることに今は喜びを感じている。今はだいぶ年をとり、体力は衰えてきましたがそれでも高尾山くらいはらくらく登れます。

現在の肩書き:おぐち・こどもクリニックの院長、新生児学会評議員、未熟児新生児学会評議員、
         周産期学会幹事、赤ちゃん成育ネットワーク世話人、北里大学医学部・看護学部非常勤講師